飯高町は、大和と伊勢を結ぶ重要な街道筋にあり、吉野林業の影響を受け波瀬を中心として始まりました。その歴史は元禄16年(1703年)、七日市の村民による『杉苗植付願書』の提出記録が残っており、小規模ながら植林が行われていた事実が確認されております。その後間もなく聖徳年間(1711~1715年)に、波瀬村第五代目田中彦左衛門によって大規模な植林が行われ、これを造林の始めとする見方が一般的です。高見山を源流とし中央構造線沿いに流れる一級河川の櫛田川の存在も、飯高の林業の発展に大きく起因していると思われます。
波瀬林業の特徴
植え付け
奈良県吉野地方では1haあたり6,000〜7,000本植えられるが、波瀬地区では豪雪害の影響もあり5,000〜6,000本が一般的です。
枝打ち
かつてはヒノキのみに行われていた枝打ちも、節のない良質な木を育てるためにスギにも行われています。
下刈
年1〜2回、幼木時は根曲がりを防ぐために苗木の周りの下草を刈る作業ですが、波瀬地域では斜面が急峻であるため機械はあまり使われず、手作業により行われています。
間伐
木の本数を減らす作業により、日当たりを良くすると共に切った木が腐敗して肥料にもなります。切る木を選定する目利きが重要となってります。
水資源
木を育てるには水が重要であり、日本有数の多雨地域である大台ヶ原も近い波瀬地域では、豊富な水量に恵まれています。かつては木材の搬出には櫛田川を利用していました。
ワインや日本酒のように、日本では木材を産地のブランドで区別しています。それだけ産地の技術や気候により品質に大きく影響されるということであり、日本人は産出した木材に自信と誇りを持ってきたという証でもあります。
夏にかけては温暖多湿で、冬は豪雪という厳しい自然環境とも言える飯高の山間部では、虫がつきにくく年輪の詰まった丈夫な木を育てることができます。
適切にかつ丁寧に管理された当地域の山林で育てられた材木は、まさに最高品質の材木であると自負して自信を持って出荷しております。